働く時間を短くすることの可能性と是非について
9時に出社し、17時に帰社。というのが理想的な勤務時間だと言われてます。でも多くの会社がそれを達成できていないという現状があります。
なぜなら、勤務時間がそれだけだと業績を維持することが難しくなるから。
正確には、そういう先入観があるから。
勤務時間を5時間にして業績をあげた会社もあるにはあるのですが
多くの会社でこれを導入できるかというと、正直現実的ではないでしょう。株主の承認を得るのも大変です。午後を丸々インプットに当てるというスタイルに大賛成の人も多いでしょうが、社員が増えれば増えるほど足並みは揃わなくなります。特に年配の社員はこれに反対する人が多いんじゃないかな。完全にイメージですけど。
- そもそも帰りたくない?
勤務時間を短くすると業績が悪くなる(気がする)という経営側の事情もあるにはあるんですが、社員側からしてもそれには反対の人も多くいるらしいんです。
まだ1〜2年目の基本給が少ない若手社員などは、残業代を稼ぐためにわざわざ残業しているという話を聞きます。というのも、残業代をもらえる前提で計算して家計を立てているから残業しないと生活が成り立たないんです。じゃあ基本給だけで生活できるようにしろよって言われそうですけど、手取り20万もいかない状態で東京で生活するってかなりしんどいと思います。遊びにもいけないし食費等も削らないと難しいんじゃないかな。
また、帰りたくないっていうのは若手社員だけに限った話じゃなくて、部長クラスのベテラン勢も家庭内に居場所がないから帰りたくなくていつまでも会社に居残る…っていう悲しい話があるらしいですね。その場合だと本当に帰りたいと思ってる部下も帰れなくなってしまうので、結果として誰も幸せにしない行動だと思います。
- 時間に縛られない働き方
そうなってくると、月何時間働いたからいくらとかそういった給与形態はもう限界にきていると思います。結局そのまま労働時間を短縮したところで、誰も幸せにはならないんですよね。
上のリンクはAmazonのCEOであるジェフ・ベゾスがワークライフバランスではなくワークライフハーモニーという言葉を使って、働くことについて述べた記事です。記事自体が短すぎるのでもう少し長めなものがあるとよかったけど…。
「いつも終業時刻ばかりを気にしているような惨めな社員ばかりだったら、今の会社の雰囲気は醸成されなかったよ」
仕事と生活の時間を明確に分けようとすると、どうしても時間を異常に気にする文化が作られてしまいます。というより、仕事と生活の時間を明確に分けるとなんか苦しいような気がするんですよね。ベゾスがいっているように仕事と生活を調和できれば、仕事の中に生活があったり、生活の中に仕事があったり、そういう状態の方がストレスも少ないと思うんです。現に今僕はそんな感じですけど、仕事始まる前の憂鬱な時間とかほとんどないですし。気づいたら仕事してたみたいな感じになってます。
通勤前とかすごい憂鬱じゃないですか?
「明日も仕事あるから7時に起きなきゃなー…」とか考えるだけでも憂鬱になりません?
仕事と生活が直接繋がっていれば、そんなストレスなく暮らしていけると思うんですよね。
経営陣と一般社員の温度差みたいなものってこういうところからくるのかななんて思います。Loboでは一つの企業文化として、生活と仕事の調和というものを目指していきたいな。
ヒトは資源じゃない
日本の労働環境が問題視されて久しいですが、去年あたりから政府が本腰を入れて長時間労働に対する対策を講じるようになってきたと思います。
今年の2月からは一部の会社で月末の金曜日は3時に帰宅できる「プレミアムフライデー」も始まりました(今更ですが)。一部問題点はあるとしても、とりあえず何かを始めるのはいいことではないでしょうか。プレミアムフライデーで救われた人もいるんじゃないかな。
ただ個人的には、日本の労働環境は理想には程遠い。そしてプレミアムフライデーも、日本の労働環境が抱える問題の根本的な解決には繋がらないと考えます。
- そもそも何が問題なのか?
劣悪な労働環境の代名詞として長時間労働がよく挙げられますが、だからと言って勤務時間無理矢理短くしたろ!っていうのは安直なアプローチにすぎません。それで本当に勤務時間が短縮されるのは元々優良企業に勤めている人ではないでしょうか。
仕事で疲弊して最悪自殺してしまうのは、法定時間内では到底処理しきれないほどの仕事を抱えている会社に勤めている人だったり、上下関係などでストレスを抱えている人だったり、元々三六協定前提で仕事を進めている企業の人たちではないでしょうか。
本当に救うべきはこういった会社の人たちで、でもそんな会社に法律で押さえつけようとしても元々守る気もないんだから効果があるのか疑問です。それに問題は長時間労働だけではないでしょう。賃金が安すぎたり、それどころか未払いだったり、セクハラ、パワハラなんかも問題になってます。
- 労働者の社会的地位の低さ
僕が思うに、労働者の社会的地位が低いことがそもそもの問題ではないかなと思います。本来、労働者の権利を守るために労働組合が会社ごとにあったりしますが、それすらも減少傾向にある…。
「じゃあ労働組合作ればいいじゃん!」
ってなるのはそりゃまあそうなんですが、いわゆるブラック企業だと労働組合に入ると給料を下げられたり(違法です)、そもそも労働組合の活動をする時間を取れないほど働かされるという実態が報告されています。本来労働者を守るべきの労働組合が機能できてないのは、そういった理由があります。これもやっぱり労働者の地位が低いから、労働者は会社に奉仕して然るべきみたいな風潮があるからなんじゃないかなと僕は思います。
- ヒトは資源じゃない
ヒト、モノ、カネ、情報は経営資源と言われています。大学の経済の授業で一番はじめに習ったのもこれだったような気もするレベルで浸透している言葉です。でも冷静になって考えてみると、ヒトが資源っておかしくないですか?ヒトは人ですよ。4つの経営資源の本質を理解していればそんなこともないのではないかとも思いますが、これほどまでにブラック企業が問題になっている現状をみると、多くの経営者はヒトを資源として使い潰そうとしてるとしか思えない。確かに単純な労働力と考えると代わりはいくらでもいると言えるのかもしれないですが、そこに人間的な配慮は全くないですよね。
会社にとって、人はあくまでパートナーなんです。使い潰すものじゃない。経営者はもちろんですけど、それ以上に働く人一人一人がこの意識を持つべきだと思います。
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デザインがうまくいかない。
それとなく良さそうなものはできるけど、どこか納得のいかない仕上がりになる。そもそもデザインの知識はほとんどなく素人同然なので完璧を目指す方が間違っているかもしれない。やるべきこと、考えるべきことは他にもある。
ただそれでも、完璧には程遠くても、ある程度納得させられるところまで作りたいと思う。
3月のはじめ。大学の卒業が確定して、すぐ引越しの準備に取り掛かった。北海道に戻るためだ。
マーケティングの知識は多少はあるにせよ、僕には特筆すべきスキルはない。
それでも一緒にやろうと言ってくれた。そこに僕はとても感謝している。
今の段階で、彼の信頼を得ることはできていないと思う。CMOとは名ばかりだ。
それは僕の能力が低いからだろう。まだ彼の信頼を得ることができていない。だから彼も納得させられることをしなければ、僕はこの会社に何も残せないまま去ることになる。
もうすぐ四月になる。もう後戻りはできなくなった。
頑張るしかない。
働く場所を選ぶということ。
今朝の滝川市の気温は 0℃。気温だけ見ると寒そうだけど、春の日差しが暖めてくれている。
昨日は雪が降った。雪はもうしばらく残るだろう。ゴールデンウィーク明けには消えてるかな。
僕たちが創業したLobo株式会社は、北海道滝川市にある。札幌と旭川のちょうど中間くらい。菜の花畑やジンギスカンが有名。春は山菜採り。夏はピクニック。秋は紅葉狩り。冬はスキー。美瑛や富良野などにも行きやすいから、一年中遊びには困らない場所。
かと言って会社を起こすのに向いている土地なのかというと、そうではない。僕らのようなハイリスクハイリターンのスタートアップは東京、それも渋谷が日本での聖地だと呼ばれている。東京で起業するのが当たり前だし、地方でやるとしても真っ先に出てくるのは福岡だと思う。
東京も福岡も、起業家に対しての支援を積極的に行なっているし、先輩起業家たちも多いから起業するには非常に適した環境だからだろう。だからそう言った場所で起業する方が成功確率が高いし、当たり前のことなのだ。
ではなぜ僕たちは成功確率の高い渋谷や福岡ではなく、北海道の片田舎である滝川を選んだのか?
なんのことはない。それが僕たちにとって当たり前のことだったし、そうすべきだと思ったからだ。
僕たちがやりたいのは働き方の改革。誰もが自由に好きな場所でより快適に働くことができる社会の実現。
だからこそそれを提唱していく僕らが、まず働きたい場所で理想の働き方を実現しなければいけない。少し考えてみれば、当たり前の選択だった。
毎日満員電車に揺られて、休日出かけるにしてもどこに行ってもたくさんの人がいるし、自然を感じられるほど出かけるにはずっと電車に乗っていなくちゃいけない。そんな中で、果たして本当に自由な働き方を追求することができるのか?
どう考えたっておかしいと思う。あんな狭い車内にぎゅうぎゅう詰めにされて、ストレスを感じないわけがない。逃げるように一歩足を踏み出して自殺してしまう人は毎日一人以上いるらしい。そして自殺した人がいる、と聞いたところで「電車遅れて大変だな」としか思わない。僕もそうだった。でもやっぱり、人間としておかしくなっていたんじゃないか?
僕たちはもちろん会社として成功したいし、お金持ちにもなりたい。でもそれ以上に多くの人が今よりもより自由に、理想に限りなく近い環境で働ける社会を創りたい。そして僕たち自身も理想的な労働環境の中で人生を謳歌したいんだ。だからこそ思い入れもある滝川の地でやろうと思ったし、それは東京では実現できないことだと感じた。
こういうことを言うとよく「東京よりも地方の方がいいよね〜」なんて言われるが、僕はそうも思っていない。というか東京も好きだし、いずれまた住んでみたいと思っている。ただ今は滝川に住みたいと思ったし、それが最善だというだけ。
僕は東京で働く人たちも含めて、全ての人たちの働き方を改革したい。
全ての人たちがより自由に、より快適に働けるように。
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「君の願いはちゃんと叶うよ」
BUMP OF CHICKENの『魔法の料理〜君から君へ〜』のサビの一節です。
昔からBUMPが好きで、藤原さんの歌声、語りかけるような歌詞、すーっと流れていくメロディーの虜でした。
僕は仕事中、基本的にイヤホンしてずっとYouTubeを聴いています。
何を聴いているかというと、スタジオジブリ作品のBGMとかケルト音楽とか。初めは洋楽を聴いていたんですがどうしても歌詞に集中しちゃうので歌詞のないものにしています。
していたんですけど。今ブログを書こうといつも通りYouTubeを開いて、その時たまたま上述した『魔法の料理〜君から君へ〜』がおすすめされてたので聴いてみたんです。
そしたらなんと、いつも以上にいろんなアイデアがポンポン出てきました。
まだ社員を雇っている訳ではないですが、経営者の端くれとして、働きやすい環境というものは常に考えています。
そんな中で思ったのは、働きやすい音楽って歌詞があるのとないのどちらなんでしょうか?
おそらく集中しやすいのは歌詞がないものだと思うんです(軽く調べてもモーツァルトがいいとか出てくるし)。僕なんかは歌詞があると邦楽だろうと洋楽だろうと歌詞に集中してしまうので。でも歌詞がある歌をなんとなく聴いている時に、不意に「あれ、こんなのいいんじゃないか?」っていうアイデアが浮かぶ時があるんです。歌詞の内容もそうですし、歌っている人の声からも影響があるような気がします。
思うに集中するには歌詞のない曲、でもクリエイティブな思考には歌詞のある曲もいいんじゃないかなと。要は使い分け、と言ってしまえばそれまでですけど、社内でBGMとして流すにはどっちがいいか考えておこうかな。
『運命の人だと認識させることでどんなハイスペックな男でもオトせる説』
ロマンチックな出会いって憧れませんか?
図書館で同じ本を取ろうとして手と手が触れ合うとか、ふと夜空を見上げた時に不意に呟いた言葉に隣にいた見知らぬ女性が返してくれたとか、たまたま地元に帰った時に昔好きだった人とすれ違うとか、朝起きたら田舎の女子高生と入れ替わってるとか。
そんな妄想を大人になるまで、なってからも数え切れないほどしてる。
いや別に僕だけじゃないと思うんです。男性だったら結構みんなしてると思うんですよね。
男ってロマンチストなんですよ。それも女性からしたら
「何それ…」
ってなるような馬鹿っぽいロマンを真面目に追い求めているんです。
友達と飲みに行った時とかよく「どういうシチュエーションが最もロマンチックか?」なんて議題を終電ギリギリまでやったり。
みんな求めてると思うんですよね。
だから
『運命の人だと認識させることでどんなハイスペックな男でもオトせる説』
を提唱していきたいと思います。
具体的にどうやるか。
ちょっと考えてみました。
・曲がり角でわざとぶつかる
・その時あらかじめ用意していた赤い糸を相手につける
・同じ本を取ろうとして手と手を触れ合わせる
・同じ書類を取ろうとして手と手を触れ合わせる
・休日約束とかしてないのにたまたま会う(それも何度も)
・朝同じ時間に出勤or登校する
・わざとハンカチを落とす
・相手の通る道で桜の花を見上げている
・相手の通る道で夜空を見上げている
・公園で子供達とピアニカを弾きながらハトを呼ぶ
・朝起きたら入れ替わっている
「こんなの当たり前じゃん!もうやっとるわ!」
ってなったらごめんなさい。
では。
2016年11月18日 渋谷RakutenCAFEにて
17:26
少しずつ肌寒くなってきた。
地元北海道旭川市ではもう雪が積もっているという話だから、それと比べると南国のような暖かさだと言えるけど。
ブログを始めた。
前々からやろーと思っていたけど、なんとなく先延ばしにしていた。
日々思っていることとか、書いていこうと思う。
慣れてないけど、少しずつ。